石黒 正人[いしぐろ まさと]

国立天文台ALMA推進室室長

1945年生まれ。名古屋大学工学部電子工学科卒、同大学院修士課程修了。理学博士。
名古屋大学空電研究所助手、東京大学助教授を経て、88年より国立天文台教授。電波干渉計の技術開発とともに、電波による、太陽大気、星形成領域、銀河中心部などの観測的研究を行う。
野辺山宇宙電波観測所長等を経て、98年より国際共同プロジェクト「ALMA(アルマ)」の日本側計画責任者。

平林久さん三宅 民夫[みやけ たみお

NHKエグゼクティブアナウンサー
 
1952年生まれ。75年NHK入局。これまで「ひるどき日本列島」「ライバル日本史」「おはよう日本」「NHKスペシャル」キャスターほか、報道・情報・教養など、幅広いジャンルの番組を担当してきた。
去年は大河ドラマ「功名が辻」ナレーター、大晦日には「紅白歌合戦」総合司会もつとめた。現在、生討論番組「日本の、これから」の司会に加え、「探検ロマン世界遺産」の語りも担当している。
趣味は犬の散歩と晩酌。自宅で、「モモコ」という名前の柴系雑種の10歳のメス犬を飼っていて、散歩が楽しみ。

今日のホスト、ゲストのご紹介

縣:時間になりましたので、始めさせていただきます。今日のタイトルは「電波に学ぶ〜宇宙・放送・そして人生」・・・人生ですよ?いいですか?(笑)お話しするのは・・・アストロノミー・パブ2回目の出演になりますが、国立天文台ALMA推進室室長の石黒正人さん・・・石黒さ〜ん。どうぞ!(拍手)そして、聞き手は皆さんご存知の、NHKエグゼクティブアナウンサーの三宅民夫さんです。(拍手)では、お2人にマイクをお渡しいたします。皆さん、楽しんでください!!

石黒:(マイクをつけながら)よろしいでしょうか?

三宅:え〜ただいまマイクのテスト中でございます。(笑)

石黒:さすがプロですね!(笑)みなさんこんばんは。アストロノミー・パブへようこそおいでくださいました。私は国立天文台の石黒と言います。先ほど縣さんからご紹介がありましたが、私の専門は電波天文学です。電波で宇宙を調べているわけですが、今は、南米のチリの標高5000メートルのところに人類最大の電波望遠鏡を作ると言う仕事をしております。さて、こちらの方は・・・もう、ご紹介する必要はありませんね。三宅さんです。皆さんも色々な番組でお顔を見ていらっしゃると思います。少し前までは、朝の番組「おはよう日本」に出ていらっしゃいましたね。朝起きて、仕事に行く前にテレビをつけると三宅さんに会える、という毎日でした。それから、日曜日の大河ドラマもナレーションをご担当されて。

三宅:「功名が辻」ですね。

石黒:色々な科学番組のナレーションもしていらっしゃいます。三宅さんの声は素晴らしいですよね。これはたぶん・・・私の専門から言うと、周波数のスペクトルがですね(笑)、かなり高い方に出ているのだと思います。

三宅:はぁ・・・そうですか。

石黒:つまりですね、低い音から高い音まで、色々とスペクトルがあるのですが、高いほうが持ち上がっているんです。そうすると音のエネルギーが高くなるので、声が非常に飛び出して聞こえる、そういうタイプの声なんです。アナウンサーやナレーションにぴったりの声というわけです。

三宅:ありがとうございます。(笑)

石黒:何故、今日、三宅さんと私がここにいるかと言うと、私たちの一番の接点は「電波」です。今日のタイトルにもあるとおり、私は電波を受ける立場です・・・何億光年彼方から来る電波を受けているのですが、三宅さんは、電波を出す人です。

三宅:はい。

石黒:それで、放送や、人と人とのコミュニケーションのために電波を使っていらっしゃる。そこが、接点となっていますね。それから、もう1つは、ある日突然わかったんですが、三宅さんと私は中学校も高校も同じなのです。名古屋の私立東海中学・高校の卒業で、そこも接点です。そういうわけで、今日のお話は「電波」と、そして出身が同じで、そこから分かれて30年・40年経って、今ここで改めて接点がある、というお話しを色々として行きたいと思います。

三宅:石黒先生は電波を受ける側で、私は出す側、ということですね・・・私は、完璧な文科系なんですけれど、大丈夫でしょうか?

石黒:いやいや、大丈夫だと思います。今日は一応、私がホストですが、インタビューの力量としては、もう、三宅さんはプロですから、三宅さんにリードしていただくのが一番いいのではないかと思っておりますので、ぜひよろしくお願いいたします。まぁ、途中でいつの間にか逆転している、ということになるかもしれませんが。どうぞよろしくお願いいたします!(拍手)

三宅:私は、ゲストを紹介することを30数年間やってきましたが、紹介される、というのは珍しいです。私は実は、かつて三鷹に住んでおりました。NHKの寮が下連雀にあって、ずっと住んでいたのです。子どもたちも三鷹の幼稚園で・・・とても懐かしいです。ここはとても便利だし、住みたいなーと思っていたのですが、家を建てる時に銀行の人に相談したら、「三宅さんにはもう少し、ふさわしいところがあるのでは・・・」と言われまして。ま、ローンのことを言われたわけですが。(笑)
今日は、石黒先生の演出で、蝶ネクタイで来ました。なぜ、蝶ネクタイだったんですか?

石黒:それはですね・・・。今日、ここに来ていただくことは、去年からある程度、予定が決まっていたわけですが、年末の紅白歌合戦で、三宅さんが総合司会をされていましたよね?(三宅さん、ハッとした表情になる)その時に、蝶ネクタイだったんです。

三宅:思い出してしまいますね!(椅子からさっと飛び降りる・・・ハンカチで汗を拭き)参りました!!(笑)

石黒:確か、蝶ネクタイの色は違ったと思いますが・・・黒っぽいのをしていらしたでしょう。非常にぴったりで、お似合いでした。

三宅:いや〜そうですか・・・(参加者に向かって)その節は、お騒がせをいたしました!!(お辞儀をして、椅子に戻る。参加者爆笑)

石黒:私は衣装にうるさいので、昨年このアストロノミー・パブに出た時には・・・その時は、相手の人は愛媛大学の先生だったんですが、「Tシャツを着て来い」という注文を出しまして。できればウルトラマンのTシャツにしてほしい、と言ったら、ウルトラマンのがなかなか見つからなくて、彼は困ってしまったんですが。今回は、蝶ネクタイがいいかな、と
思いまして。

三宅:そうですか〜!!

 

      
 

 

電波がウヨウヨ

三宅:ここにいらっしゃっている方は、科学にかなり詳しいですか?そうでもないですか?実は私は、先ほども申し上げた通り文科系なので、石黒先生に伺いたいことは、本当に基礎のところからあるんです。私自身は、実は科学が・・・嫌いな子どもで、数学とかできなくて。今、理科嫌いの子どもたちが多いと言われていますよね。どうしてそう言う事になっているか、本当に基礎的なところから聞きたいのです。
ただ、お集まりの方に、かなり専門的なことに興味があって、そこを中心に聞きたい、と言う方が多いのだとすると、そういう方のことも考えなければなりませんし。どっちかというと専門的な天文学のことに興味がある、という方?手を挙げてください・・・遠慮なさらず。あ、わかりました。では、その方たちの気持ちも汲みつつ・・・あの、どんどん質問して行ってくださいね。私はかなり基礎的なレベルで行きますので。

(石黒さんの方に向いて)では、まず「電波天文学」・・・僕はまず、それがすごく不思議で、天文学に電波が関係ある・・・そこからまず不思議だったのです。あの・・・望遠鏡で私たち、普通に空を見ますよね?それとはだいぶ、違うんですか?(石黒さん頷く)
天体の事を知る、ということについては、同じなんですか?(石黒さん、また頷く)
では、「見る」わけですか?

石黒:そうです。ただ、私たちの目では光しか感じませんから、電波では宇宙がどうなっているかはわかりません。実は、電波はこのへんを(自分の周りのフロアなどを指して)ウヨウヨしているのです。でも普通は見えないので、人間に見えるように変換してあげないといけないのですね。

三宅:では、宇宙からの電波は、たくさん来ているわけですか?

石黒:いっぱい振り注いでいるのです。そして、実はその中にとても重要な情報が含まれています。宇宙の大きさは137億光年ですが、光の速度は秒速30万キロで一定ですから、137億光年先から来る電波は137億年かけて地球に到着することになります。例えば、50億光年の天体であれば、50億年かけて届きます。ですから、このへんに今、ウヨウヨしている電波の中にも、100億年というような、長い時間をかけて届いた電波もあります。ただ私たちの目や体では感じ取れない。それを、大きな望遠鏡を作って見ると、いろいろなことがわかるのです。それで、電波天文学というのは、近代天文学の中でもとても重要な分野になっています。でも光の天文学だって、それほど歴史は長くなくて、ガリレオが望遠鏡を使って惑星をスケッチした頃から、まだ400年しか経っていません。電波で天文学をするようになったのも1931年くらいからですから、76年くらい・・・、まだ、実に若い学問です。現代は、色々な波長・・・これは、光や電波だけではなく、エックス線や赤外線や紫外線などの、波長を使って宇宙を調べるという時代になっています。

 

        
 

 

直径15キロのパラボラアンテナ?

三宅:先ほど、人類がこれまでに持っていなかった、大きな電波望遠鏡をチリのアンデス山脈に作っているというお話がありましたが・・・(参加者の方を向いて)そういうのは、皆さんはもう、ご存知ですか?(客席の多数が頷く)・・・どのくらいの大きさか、も知っていますか?(首をかしげる人多数・・・三宅さん、石黒さんの方を向いて)あの、最大っていうのはですね、え〜・・・どのくらいの大きさなんですか?

石黒:大きさはですね、だいたい直径15キロメートルくらいの・・・

三宅:えっ?

石黒:そのくらいの、「お皿」を作りたいのですが・・・

三宅:じゅ・・・15キロ?

石黒:そのくらいのパラボラアンテナが欲しいんですよ。

三宅:直径15キロって・・・?え〜っ?

石黒:皆さんのご家庭には、直径が50センチくらいの、放送衛星を受けるためのアンテナがありますよね?

三宅:ええ。

石黒:あれの、直径が15キロメートルくらいまで大きいのが欲しいんです。

三宅:(椅子に座りなおして)そんなこと、できないですよね?

石黒:ええ、できません。先ほどから言っている「直径の大きいアンテナ」と言いますと、長野県の野辺山に・・・私は以前、そこに居たんですが、45メートルの電波望遠鏡があります。世界的には、直径100メートルというのもあります。でも、それより大きいのは作れないんです。

三宅:そうですよね。

石黒:それは、具体的に言うと、直径が15キロのパラボラアンテナを「よいしょ」と縦にしてあっちに向けたりこっちに向けたりすることは、高さが15キロのものを作ることになりますから、とんでもないことですよね、とても制御できません。

三宅:(うん、うん、と頷く)

石黒:ですから、一個一個に分割して、小さいパラボラアンテナをたくさん並べることで、大きなお皿の代わりをさせる、というのを、ちょっと専門的な言葉になりますが、「干渉計」と言います。

三宅:あの・・・全く素人の理解なんですけれど、大きな15キロの一枚のアンテナを作る事は難しいから、ちっちゃいのをたくさん並べて、これ全体が、大きなパラボラの役目を果たすようにする、ってことなんですね?

石黒:そうです。実は、野辺山にある直径45メートルの電波望遠鏡も、そんな大きな1枚の金属の鏡なんて作れませんから、畳1枚くらいの電波を反射するパネルを全部で600枚敷き詰めて、それで焦点に電波を集めるようにしているんです。このように大きなものは、何かの部品を並べることでやらざるを得ないのですが、15キロのものを、となったときには、小さいものをたくさん並べていたのでは、膨大な数になります。しょうがないから諦めたのです。ちょっとずつしか並べられないですが、それは、時間をかけてやれば何とかなる。お金のない時は、時間をかけるということで、「Time is money」です。(笑)

三宅:国際共同プロジェクトなんですよね?何カ国くらい参加しているのですか?

石黒:北米グループがアメリカとカナダ、ヨーロッパは12カ国、私たちは東アジアということで、日本と台湾、それから、望遠鏡を作る現地のチリですね。

三宅:全体のリーダーっていうのは・・・?先生はかなり中心的に活躍していらっしゃいますよね?

石黒:それぞれにリーダーがいます。そういう人たちが集まって、一緒にやっていこうとしています。もともと、日米欧それぞれに独自のプロジェクトがあったんですが、1つはアメリカに作ろう、1つはチリの標高の低い所に作ろう、私たちはチリの標高の高いところに作ろう、と言っていたけれども、結局、チリの標高の高いところが一番いいと皆が納得したので、3箇所に分かれて作るのはもったいないから、一箇所にまとまって作ろう、となりました。

 

                       

 

 

鉱石ラジオとゲルマニウムラジオ

三宅:そこでどういうことがわかってくるのか、皆さんもとても興味があると思いますので、それは後ほど、皆さんから質問していただきたいと思います。でもその前に、私がとても興味があるのは・・・石黒先生が、子どもの頃、どういうことがきっかけで天文学に出会って、今の道に入ったのか、ということです。それを(参加者の方を向いて)いいですか?そういうことを伺っても・・・?(皆、頷く。拍手をする人も)ありがとうございます、拍手までしていただいて。
(石黒さんへ)何か、きっかけがあったんですか?子ども時代に・・・。

石黒:小学校から、電気とか電波とかに興味がありました。鉱石ラジオを小学校4年の時に作りましたね。

三宅:私も作りました〜!鉱石ラジオ・・・作った事のある方どのくらい、いらっしゃいますか?(参加者から数人手が挙がる)あ、結構いらっしゃいますね。

石黒:鉱石ラジオが、何故「鉱石」って言うか・・・というと、「鉱石」って「石」ですよね。ミネラルの石です。いろんな種類のものがあります。黄鉄鉱とか、方鉛鉱とか。そういう石を採ってきてそこに針をさすのです。それにアンテナをつないでやると、電波が受かる・・・放送局からの放送が聞こえます。電源は全く要らないのです。電波が鉱石の中で「検波」されて、それが音になるというだけの、非常にシンプルな構造になっています。小学校の図書室のあたりに鉱物標本が、ガラスのケースに入って置いてあったんですね。で、ちょっとこう、蓋を開けて・・・鍵がかかっていなかったものですから(笑)・・・大きいのを持って行くと怒られますが、たいていつぶれた石が、箱の隅っこの方にぼろぼろ落ちているんですよね。先生に「方鉛鉱の、このちょっと欠けているのをくれませんか」と言って、もらって、家へ持って帰ってラジオにセットして音が聞こえる。

三宅:へぇ〜!!!!

石黒:と、いう原始的な鉱石ラジオを作りました。それから、もう少し高級になると、ゲルマニウムラジオ、というのも作りました。

三宅:あ、ちょっと待ってください。私、鉱石ラジオとゲルマニウムラジオは同じだと思っていましたが、違うんですか?

石黒:違います。

三宅:私は、本の付録か何かで、小学校の5年生か6年生くらいの時に作ったのが、ゲルマニウムラジオでした・・・違うんですか?

石黒:違うんです。それは、進化したやつですね、もとが鉱石ラジオなんです。ホントに、石でもって電波を受けるんです。

三宅:・・・何でまた、石で電波が受けられるのか、っていうのが僕は不思議ですが。

石黒:それはですね、整流って言いまして・・・交流できたものを直流に直す性質が、鉱石・・・特に酸化したものにあるのです。表面が酸化して酸化膜ができますから、それが、ゲルマニウムと似たような作用をするんです。

三宅:・・・あんまり深いところまでは、触らないほうがいいみたいですが(笑)、そうすると、鉱石ラジオ、ゲルマニウムラジオと行って、それで・・・?

石黒:私は次に、いかにコンパクトなゲルマニウムラジオを作れるか、ということをやって、旅行用の石鹸箱・・・このくらいの小さいのがありますよね?その石鹸箱の中に、ゲルマニウムラジオを詰め込むということをやりました。ギュウギュウ詰め込んで、その当時としてはたぶん、世界最小の(笑)ゲルマニウムラジオを作りました。それを学校へ持って行ったら、みんなが「俺も欲しい」「私も欲しい」ということを言い出しまして、家へ帰って量産をして(爆笑)、部品代などで一個600円で売ったんですけれど、そうしたら先生に怒られましてね。「学校で商売をしてはいけない」と。(笑)ま、それが電波への入り口です。

 

       
 

 

石黒少年の実験

三宅:どんどん、どんどん電波や電気に対して興味が沸いてきて、他にも、いろいろなことをおやりになったんじゃないですか?

石黒:そうですね。学校ではあんまり実験をやってくれなかったので、色々と本を読んだりして実験のまねごとをするわけです。自宅に実験室もどきのようなものがあって、学校から飛んで帰ってきては、何かこう、いろいろとやっていました。

三宅:どんなことを?

石黒:けっこう恐ろしいこともやっていましたね。人間の体は電気が通るか、というのを、小学校や中学校の時に実験してしまいました。

三宅:えっ!!(かなり不安そうな顔になって)それは、どんな実験を?

石黒:まあ、具体的には言えませんが、ちょっと手がビリビリっと・・・

三宅:ちょっとちょっと!!待ってください、え〜っ!?

石黒:子ども心にも、安全管理の概念は働いていて、ちゃんとトランスを入れて電圧を相当下げてから実験して、これ以上やると危ないかな?というところで止めました。

三宅:では、子どもながらに、知識はあったんですね。

石黒:安全のための知識は、ちゃんとありましたね。

三宅:そういう石黒少年は、どういう環境で育まれたんですか?日常的に科学が身近にあったとか?

石黒:いや、特にないですね。やっぱり本とか、雑誌とか・・・。「子どもの科学」とか「無線と実験」「電波科学」っていう本があって、学校の本はあまり面白くないので、そういう本ばかり読んでいました。それで、面白そうなことがあると、「コレは本当かな?」とか言って試してみようとするわけです。いろいろ実験をしまして。

三宅:でも、科学的な道具とかが必要だったりしますよね?

石黒:実は、ロケットを飛ばしたこともあるんです。火薬がいるので作ろう、と思って・・・

三宅:えっ・・・

石黒:こういう材料を何対何の比率で混ぜるとできる、と言うのを読んで、薬屋へ行って材料を買って掻き混ぜて・・・お菓子の缶いっぱいに火薬を作ったんです。

三宅:(ただ驚いて、聞き入る)

石黒:コレは、家の中でやると火事になる、という、安全の認識はあるので、ちゃんと庭に出て、火事になってもいいところで混ぜていました。そうしたら、普通は混ぜたぐらいでは火がつかないはずだったんですが・・・

三宅:(身を乗り出す)

石黒:ところが、乾燥していると体が帯電するので引火するんですね。で、実は引火してしまいまして。(石黒さん、ニコニコ笑う)菓子箱いっぱいの火薬に一気に火がついて、目の前真っ青。ま、幸い火事にはならず・・・

三宅:学校でも、先生にも言えないですよね?

石黒:そうですね。でも、やけどはしませんでした。唯一影響があったのは、1週間くらいしゃべれませんでした。のどがヒリヒリして声が出ない。煙を吸い込んでしまったので。

三宅:はぁ〜そうですか・・・

石黒:(淡々と)それだけです。

(参加者爆笑)

三宅:・・・よく、ご無事で。だけど、今のお話を聞きながら、興味を持っているっていうことは、そういう、ある危なさとギリギリのところを歩いて初めてわかる事なのかもしれないなと思いました。安全で、ただわかったことだけを伝えるのでは、子どもたちにはなかなか解らないのかもしれないな、と。

石黒:最近、小学校で授業をしたりすると、みんな、はさみが使えないですね。はさみで直線は切れるんです。では、丸いものを切ってごらん、というと、子どもたちは丸いところを切れないんですね。バチン、バチン、バチンと、直線に切るんです。きれいに丸くはきれない。私が、こうチョキチョキチョキチョキ・・・と紙のほうをまわしながら切るんだよ、というと「へぇ〜」・・・それが5年生でですよ!我々の時代は、はさみどころか、授業中にナイフを使って鉛筆を削って、鉛筆のケースの中に、切り出しナイフ・・・非常に鋭利なナイフを入れて持って行って、学校でみんな、鉛筆を削っていました。今、ナイフは禁止ですよね、ナイフを使うと怪我をするから。私の指のここに、今でも傷がありますが、怪我をして骨が見えたことがあるんです。

三宅:え?(石黒さんの手元を覗き込む)

石黒:アルミの板にナイフで穴をあけようなんて無謀なことをして・・・この時は危機管理がなってなくてですね。(笑)しかも、普通のまっすぐのナイフではなくて折りたたみナイフをつかったものだから、穴を開けている間にナイフが折りたたまれて、手に怪我をしてしまったんですね。ま、すごく勉強になったんですけれど、要するに、そういうものは危ないよ、下手すると怪我するよ、ということがナマで教育される時代でしたね。裏腹ですよね。危険と、そういう経験と。でも、結構大事なことだと思います。

 

     
 
 
テレビが来た!

三宅:石黒さんは1945年生まれで、私は52年なので7歳違いなんですが、ゲルマニウムラジオまでは共通する体験でしたけれど、その後の、実験のあたりは・・・私の頃はお袋が側にいてすぐに注意される、という感じでした。・・・お袋のせいにしちゃいけないですけれどね。(笑)
私は、ラジオのところから、「音が聞こえてくるのが不思議だな〜」と思って、次にテレビが欲しくなったんですね。私の家はテレビがなかったんです。昔はそういう家、けっこうありましたよね。隣の家に見に行っていました。隣の家は同級生の女の子の家で、テレビがあったんです。その子は外でおままごとしていて、私はその家にドーンと上がり込んで、ずーっと何日もテレビを見ていました。小学校5年生くらいの時に、ちょっと他の家より遅かったですが、テレビが・・・「テレビが来た」って言いましたよね。「買った」じゃなくて。

石黒:ええ、そうですよ!映画の「オールウェイズ」の世界です。「テレビが来る」っていうことは一大イベントでした。

三宅:そうそう(笑)。神棚の脇くらいの一番高いところにテレビを置いて。昔は凄かったんですよ!(参加者の若い人の方を見て)わからないでしょう?今はテレビは床に置いたりしていますが・・・だいぶ変わりましたよね。テレビ用のコンセントは、天井に近いところにもあったんです。それだけ、大切にされたんですね。そのころの番組といえば「名犬ラッシー」とか「ララミー牧場」「ポパイ」とか。

石黒:「拳銃無宿」とか。

三宅:あぁ、ありましたね〜。ゴメンなさいね、全然わからないでしょ?(笑)「てなもんや三度傘」とか(爆笑・・・三宅さん、比較的年配の参加者の方を見て)あ、わかります?そうそう、あとプロレスとか。僕はプロレスに熱中しちゃって、家族で見るんだけど、夕食の味がしないんです。(笑)テレビ見て・・・本当に、宝の箱、夢の箱だな、と思って、それまでテレビがなかったものだから余計に憧れが高まって、テレビにどんどん惹かれて行ったんです。その辺りが、テレビに関わるきっかけだったかもしれません。印象に残っているテレビ番組って、何ですか?

 

   

 
 
隣の家から受ける影響

石黒:印象深いテレビ番組は後でお話ししますが、その前に、今おっしゃった事で言うと、「隣」に何か、影響を受けるみたいですね。「隣に何があったか」というのが、人生では・・・特に子どもの時に。

三宅:(はっとして)そうですか!

石黒:ええ、実は、私の家の隣は、片側が本屋、もう片側が電気屋でした。(爆笑)本屋の方は、トラックで本を運んで来るんですけれど、次の月の雑誌が届くと、トラックまで行って本屋に入る前に貰ってきてしまうんですね。後でお金払うんですけれど、一番新しい号をすぐに貰ってきちゃう。

三宅:情報はそこから、本屋さんから入っていたわけですね!

石黒:それから、電気屋との間の壁には穴が開いていたんですけれど・・・

三宅:穴が・・・!?

石黒:その穴から隣に入って、電気屋に入り浸り。テレビを見たり、時々、部品のクズを「これ、貰っていい?」って貰ってきてラジオ作ったり。両隣の、本屋と電気屋は、私の将来を決める、かなり大きな要素でしたね。(笑)

三宅:周りの環境はどうだったのかな、と思っていたのですが、いや〜そういうことですか!

石黒:三宅さんがおっしゃったように、棚の上の高いところには、ウチにはラジオが上がっていました。それで「赤胴鈴之助」「怪人二十面相」あるいは「君の名は」なんていうのも、子どもの時に聞かされましたね。(笑)当時のラジオはいい加減なラジオなので、台に乗って上の方に手を伸ばして、調整しないとピーピーギャーギャー言ってうるさいんですね。でも、調整していて、あるところに来ると、ぱっと上手く聞こえるようになる。そのうち、ピーピーギャーギャー言うのを止める何か良い方法はないかと思って、本を見たら銀紙を真空管のところにかぶせたら良く聞こえる、と書いてあって、一生懸命、ちゃぶ台の上に乗ってやっていました。まあ、そういう時代を経て、テレビが来たことは素晴らしくて、すごく期待していたんですね。
テレビで一番印象に残っているのは、日米の最初の衛星中継です。衛星中継が行われるというので、もう、テレビにかじりついて待っていたんです。そうしたら、ケネディ大統領が暗殺された、というのがいきなり飛び込んできました。日米でテレビの衛星中継の生番組が最初に行われた時に、ケネディ大統領が暗殺されたニュースが生中継される、というのはすごいことですよね。その時に、電波の同時性というものを感じました。それが僕の原点です。オリンピックなどでも、夜中起きているのが辛いから録画で見よう、と思っても感覚的にピンと来ないですよね?今、この同じ時にこの人が水泳でがんばっている、マラソンでがんばっている、というのがヒタヒタと伝わるというのが、同時性だと思います。いくら同じ時間をかけて、マラソンだったら2時間くらいを録画でずっと見ていても、伝わってこない。最初の日米中継の時に、放送の同時性というのを非常に強く感じました。

三宅:それは、昭和38年なんですよ。東京オリンピックの1年前です。私の家にはテレビがあったはずなんですが、なぜか、私はその日の記憶がないんです。私自身が同時性って言うのを感じて「テレビはいい!」と思ったのは、アポロ11号が月面に着陸して、月からの中継があった時、これは昭和44年です。(参加者に向けて)憶えていらっしゃいます?ご覧になった方、どのくらいいらっしゃいます?あぁ、けっこういらっしゃいますね。7月だったのですが、私、それを見て、「あの、空に見えている月で今、起きていることが中継されている!飛行士が宇宙船から降りてきて、今、初めて月の地面に足を・・・」

石黒:「月面」ですね。

三宅:「月面」・・・あ、「月の地面」って、「地面」とは言わないですね!(椅子から降りて、深々とお辞儀をして)アナウンサーとしてお恥ずかしい。(参加者爆笑)そうですね!「地面」は地球ですものね!失礼いたしました、月面着陸でございました。(椅子に戻り)いや〜放送じゃなくて良かった!(笑)・・・月面に、着陸をしたのを見て、不思議でしたね。7月の下旬で、多分、夏休みに入っていたか何かで、ずっとテレビを見ていたわけですが、年配の方は憶えていらっしゃるかもしれませんが、西山千という同時通訳の人がいて、村野賢哉という人が解説で、アナウンサーが鈴木健二で。私は、その鈴木健二という人に憧れてアナウンサーになったんです。

 

     
 
 
新聞記事からインスピレーション

三宅:電波や科学に興味を持った石黒さんは、その後、「電波」を仕事にしようと思ったわけですがそのきっかけは何だったんですか?

石黒:そうですね・・・実は、高校生の時に新聞を見ていたら、パラボラをずらっと並べて太陽から来る電波を観測している、と言う記事が出ていたんですよ。それが「目からウロコ」でした。パラボラがいっぱい並んでいるのがアンテナになる、しかもそれが望遠鏡になる。え〜っ?と思って。これは何か、すごいことになるのではないか、とインスピレーションが沸きました。それが名古屋大学の空電研究所でやっているプロジェクトで、研究所は愛知県の豊川にあるんです。大学から70キロメートルも離れているので、誰も行きたがらない。大学院の試験の時も、空電研究所に行くならボーダーラインの学生も通します、という事になっていて、そうやって行った学生のことを、「デモ空電」と言ったものですが(笑)、私は最初から、そこへ行きたかったんです。だから、珍しいヤツが来たな、と言われていました。それがきっかけで、電波で、しかも干渉計で研究をはじめました。大学院の論文も2台のパラボラアンテナを並べて太陽から電波を受ける、と言う研究をしましたし、豊川にいた10年間は太陽を受ける望遠鏡を作り、その次は野辺山に世界最大級の電波望遠鏡を作るプロジェクトをやるから、というのでそこに参加する事になりました。そこでも、45メートルの望遠鏡とは別に、10メートルのパラボラを5台並べて干渉計にするというのを、日本中さがしてもなかなかやる人がいないから「お前来ないか」と言われて、「じゃ、行きましょう」と。野辺山の望遠鏡が完成した後は、それでは性能が足りないことはわかっていましたので、南米アンデスのプロジェクトへ・・・。ですから、最初のその新聞記事でのインスピレーションから、今のアルマのプロジェクトまで、新聞記事が出た時からするともう、45年くらい経ちますが、ずーっと繋がっているのです。

三宅:その新聞記事も、先生の人生にとっては大きいものだったんですね。小さいアンテナをたくさん並べると大きなアンテナになる、そうすると、とてつもない世界がわかるんじゃないか、ということに興味がわいて、どんどん、どんどん繋がって行ったんですね。

石黒:その時は子どもですから、将来の展望がわかっているわけではないんですよ。このまま続けたら南米のアンデスまで行く、と思っていたわけではもちろんありませんが、何か、インスピレーションがあったのでしょう。

三宅:野辺山にいらした時にも、かなりの規模の電波望遠鏡を作って宇宙のことを調べていたわけですよね。その、宇宙からの情報が手に入ったときというのは、どういう気持ちなんですか?憶えていらっしゃいますか?

石黒:非常に嬉しいですし・・・子どもの頃の感電と同じで(笑)生々しいものほどいいんですよ。残念ながら今は、ほとんどがデジタルで、コンピューターで処理する世界なので、なかなか「そのもの」を感じ取ることができないのですが・・・。野辺山の望遠鏡を最初に立ち上げた時は、アナログの世界なので、望遠鏡を完成させて「さあ、最初に、天体から来る電波を見つけましょう」と言う時に、ケーブルセットして、今のようなコンピューターは使いませんからペンレコーダーと言って(指で、ジグザグの模様を描くような仕草をしながら)受けた信号がインクで紙の上に描かれるわけです。そうやって、一生懸命こう、睨んでいて(石黒さんが腕組みをして、ペンレコーダーが描く波形を見ているような仕草をすると、三宅さんもつられて、一緒に腕組みをして石黒さんの方を覗き込む)、最初は雑音なんかがこう、ガヤガヤ、ガヤガヤ出ているわけですけれど、そこで、「んんっ?何かこう、振れ方が違うな!?」と言う風に、ペンが振れ出したら、天体からの信号がブワァーっとなって「わぁ、これだ!」となるわけです。
それは、我々の業界では、光の望遠鏡でしたら「ファーストライト(first light)」・・・最初の光、と言いますが、電波だと「ファーストウェイブ(first wave)」、干渉計ですと「干渉縞」というものがデータで出てくるのですがそれは「フリンジ(fringe)」・・・「ファーストフリンジ(first fringe)」という言い方をします。まあ、めでたいことなんですよ。初めて、その装置から何か、天体からの信号が出てくるということで、それはもう、忘れることはできません。今も、その最初のデータは大切に取ってあります。

三宅:でもそれは、何かそう言うものが出る、「受かる」ということは判っているんですよね?

石黒:それは判っていますよ!そういう風に設計していますから。(笑)受からなければいけないんですけれど、アンテナや受信機や、その間を繋ぐものや、コンピューターのソフトを書く、ということが全部、繋がって出来上がる世界なので、それはなかなか、「絶対出るはずだ」とは行かないんですよね。

三宅:心配もあり、出ないかもしれないということもあって・・・

石黒:データを得た時は、それはもう、忘れられないですよね。

 

        
 
 
野辺山からアンデスへ

三宅:そしてその後、人類がまだやっていないという、大規模なものを作ろうと、今のアンデスのプロジェクトになって行くわけですね。

石黒:ええ。野辺山の干渉計は5台だったわけですが、宇宙を見るにはまだ足りない。完成した次の年には、もう、そう思っているわけですから、ひどいですよね。(笑)

三宅:そうですか。(笑)

石黒:これは絶対大きいものが必要だ、ということで、1983年から、アルマプロジェクトの前身のプロジェクトを走らせるわけです。だから、長いですよね、考え始めてから、30年かかりました。

三宅:世界の何カ国もが参加する大きなプロジェクトの、もともとの発想は、石黒さんが考えていらしたわけですね。

石黒:1983年くらいから始めていましたから、日本は先行していたんです。南米のチリまで行かなければならない、ということで、一生懸命、アメリカとかヨーロッパの研究者たちを誘惑していました。

三宅:それは、もっと世の中の人たちに、知ってもらわなければならないんじゃないですか?

石黒:それは、100年後くらいに(笑)。

三宅:(笑)すごいお話ですよね!で、その建設にかかっているわけですよね。建設が始まる時の気持ちって・・・。

石黒:それはそれで、もう、非常に感動しました。南米のチリまで行って、標高5000メートル以上のところを、全部で20箇所くらい回りましたけれど、良い所に行った時は「これは素晴らしい」と思いました。ここなら、野辺山ではできなかったような天文学ができるに違いない、ここに作るべきだ、と確信したのです。

三宅:はぁ〜。

石黒:まあ、標高が高いので、頭はけっこう朦朧としているんですけれどね。(笑)

三宅:話が大きいですね。

石黒:最初にチリの5000メートルのところまで行った時は、火星の表面に立ったような気がしました。

三宅:それは、荒涼としている、ということですか?

石黒:土が赤いのです。火山からの溶岩が風化してできているので、非常に土が赤い。まあ、火星に行ったことはないですが(笑)火星の表面はこんなだろうな、と思いました。

 

 
   
 
「世界初」へのチャレンジ

石黒:せっかくだから、三宅さんのお話しももっとお聞きしたいのですが、三宅さんは、いろいろな中継番組をやっていらっしゃいますよね。私が覚えているのは、長江の中継です。長江・・・揚子江にダムができるというので、川に沿って、ずーっと何日もかけて生で中継されて、中で色々な料理を作ったりとかして。それからオーロラもやりましたよね。

三宅:はい、オーロラの生中継もしました。

石黒:皆既日食も?

三宅:ええ、皆既日食の中継もしました。NHKはけっこう、世界初、ということに挑戦しています。10年以上前になりますが、長江650キロメートルを生中継で下る。これも世界初の挑戦でした。
中継で移動しながらでも正確に電波を送りだせる装置を、NHKが作ったんです。衛星に向かって電波を送るわけですけれど、衛星の位置を正確に捉え、揺れてもその揺れを計算し微調整して衛星を捉え続ける、という装置をNHKの技術研究所が開発したんです。
実はその時、他局でもやはり同じようなものを開発中で、どうもそちらの方が先行していたようなんです。実際に放送に使うには、当時の郵政省に申請が必要だったんですが、NHKはちょっと開発が遅れて、「どうしようか、今から申請しても間に合わない。困ったね・・・」という相談をNHKのメンバーでしていた。そのときに・・・1人が「じゃ、中国の長江にでも行ってやろうか」って言った。「あ、それ良いかもしれない、長江だったら、電波を遮るものもあまりないよね」と、話は「瓢箪から駒」のような展開に…。
でも「中国が許可してくれるかな!???」という心配もありました。何しろ、外国の放送局が乗り込んできて、直接電波を出そうと言うわけですから…。ところが、許可が下りたんですね!実は、その前に「大地の子」という日中共同のドラマがありまして、そのことも関連があったと思いますが、向こうで中心になってくれた中国のディレクターは、「大地の子」を一緒に作った人でした。それで、日中共同のプロジェクトで世界初の「長江下り完全生中継実現へ!」と言うことになりました。同時開発を進めていた某民放局の方には申し訳なかったですが…(笑)。
日本には、中国に様々な思い、思い出のある方は多く、中国奥地からそのまま同時進行で届く旅の様子に、「自分も一緒に旅しているみたいだ」という感想が放送後沢山よせられ、それは嬉しかったです。私が月面からの中継を見て感じたのと同じような感動を、今度は私が、届けることができたのではないかと思っています。

石黒:私が印象に残っているのは「電子立国日本・・・」という番組です。まさにこういうようなちょっと暗いところで、スポットライトを浴びて、2人で対談するんですよね。何であんな暗いところでやるんだ、日本の未来は暗いのか(笑)、とか思いながら番組を見ていたんですけれど、あれは強く印象に残っています。

三宅:NHKスペシャル「電子立国日本の自叙伝」と言う番組です。ご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、今から15年程前、半導体というものが注目を浴び始めた時に、誰にでもわかるようにその本質と開発技術者達の思いを伝えよう、とスタートした番組です。あの番組を企画・制作、そして解説したのは、NHKの相田洋(ゆたか)ディレクターです。実は相田ディレクターも文化系の人。相田さんは、戦時中大陸で生まれ、終戦後命からがら引き揚げてきます。その時「国の力というのは技術の力なんだ、それがないと国も国民も成り立たない」と身に沁みたのだそうです。大学進学にあたり、本人は理科系を志望するのですが、当時は「出世するなら文化系」という風潮があり、親御さんの強い希望もあって結果的に文科系に進むことになったそうです。でも科学技術が大切だという気持ちは強く持ち続け、それが番組にもつながってゆくのだと思います。科学の専門家の人たちのお話は、素人には難しくわかりにくいものです。相田ディレクターは、それを、納得ゆくまでとことん取材し、整理して、誰にもわかりやく興味深くまとめて放送で伝える、ということをやりました。

石黒:あれは印象的な番組でした、一生懸命見ていましたよ。

三宅:ありがとうございます。「1からやりましょう」という番組でしたが、打合せで私が相田さんに「半導体のこと、どう受け止めてますか?」ときいたら、「いや、三宅さん、もっともっと基礎的なところがありますよね。半導体って、何だかわかりますか?」と逆に聞かれたんですね・・・「えっ???」と思って。「番組は、そこからやりましょう!」と言われました。テレビと言うのは本当に、小中学生からお年寄りまで多くの人が見ています。そういう人たちと同じ目線で、ゼロから始めるというようなことが求められているんだな、と思いました。

 

 
   
 
質問タイム

石黒:世の中、だんだん進歩しているものですから、ブラックボックスが多くなっています。今、皆さんがお持ちの、ラジオでも携帯電話でもそうですが、分解してみたところで・・・分解する人もあまりいないかもしれませんけれど・・・集積回路と言ってゲジゲジ虫みたいなのが入っているだけなんですね。ゲジゲジ虫をさらに切って分解する人も・・・まぁ、いないでしょうが、そうしたとしても、なかなか解からない。そういうブラックボックスになってしまっています。インターネットにしても、バーチャルな世界が増えていますから、先ほどの話にあったような、生々しい世界が少なくなっています。そういうところは、気にかけていかないといけません。

三宅:(大きく頷いて)そうですね・・・!

石黒:いくらわれわれの科学が進歩したとしても、原則は100年前くらいに解ったことにあり、それは変わりません。例えば電波の世界では、マックスウェルという偉い人が、「マックスウェルの方程式」というものを編み出して、その方程式を解くことによって電波とは伝わるのだということが解ったのです。それからヘルツと言う人が、今、その名前が周波数の単位を示す言葉になっていますが、火花放電から電波が出ているということを発見しました。それを使って、マルコーニが、1901年に大西洋で無線通信を始めました。そう言う事を経て、ラジオ、テレビ、携帯電話と言う世界があるわけです。
私は、NHKの「ようこそ先輩」と言う番組で、課外事業をやったことがあるんですが、生徒達に「電波ってどう言うものだと思うか」と画用紙に絵を描かせたんです。するとみんな、放送局からギザギザが出たり、携帯電話からギザギザを描いたりして、電波を身近に感じている。けれども、携帯電話で話しをしている時には、電波のお世話になっているとはなかなか意識しません。原理は何なのか、時々は昔に戻って見ることも大切だと思います。温故知新って言いますけれど、常に最先端というだけではなく、古い事を温めて新しい事へ向かうことが重要だと思います。

三宅:そうですね!何かを新しく知ろうとする時に、素人としてどういう問いを発するのか、何に興味を持つのか、が難しい時があります。興味を持っていないと聞けません。問いの言葉ってなかなか出て来ないのです。そうしたら、先ほどお話しした相田ディレクターは「そうなんだよ、興味がないと質問って出てこないんだよ。だから、学問は問いを学ぶって書くでしょう?」と・・・。

石黒:そうですね!全くそのとおりです・・・と言うわけで、(参加者に)皆さんも、興味をお持ちのことに質問をしていただければと思いますが。(笑)

三宅:素晴らしいですね!

縣:ありがとうございました。それではここで、質問を受け付けたいと思います。(笑)
まず、石黒さんに質問です。「アルマが完成すると、どのような、新しい事がわかるようになりますか?」

石黒:太陽系以外の惑星の姿を見たいと思っています。光の望遠鏡を使った観測では間接的な証拠で、恒星の周りを回る惑星がいる、ということを150くらい見つけていますが、それを画像で見た事のある人は、人類としてはまだ、誰もいない。アルマを使うとそれがわかります。円盤ができていて、その中のどこかに惑星の塊のようなものが今、生まれつつあるところだとか、ある軌道で惑星が生まれれば、そこの物質が消費されますから、土星のリングのような模様が見えるんですね。

三宅:(頷きながら、石黒さんの方へ身を乗り出す)

石黒:そう言うことで惑星の誕生がわかってきます。天文学も考古学と同じように、いろいろな時代のものを並べると進化がわかるんですね。化石を並べると生物の進化がわかるように、惑星も、遠くを見れば化石のようになっているわけなので、それを並べることで、惑星の誕生がどのようになって来たのかがわかります。私たちの地球がどうして誕生したのか、また、地球の上に存在している我々のような生命は、どうして誕生したのか。そして究極的な質問は、我々人類は、宇宙の中で孤独かどうか・・・。他に友達がいるのかどうか、ぜひ知りたい。なかなかそこまで行くのは大変でしょうけれども、そのとっつきは必ずできると思っています。

三宅:惑星が見られるのは、いつごろになりそうですか?

石黒:そうですね・・・2011年頃になれば、何か出てくるでしょう。

三宅:おっ!そんな遠くじゃないですね!

石黒:アルマが全部完成してスタートするのは2012年です。全部で80台パラボラが並びますけれども、干渉計は、全部できなくても、半分でもそれなりに観測はできます。そういうことで、どんどん結果が出てくると思います。

三宅:解りましたら、ぜひ、NHKへ!ぜひぜひお願いします。(爆笑)

縣:次は、三宅さんに質問です。「思い出に残る失敗談を教えてください」

三宅:うわ〜これは、いっぱいあるんですけれど・・・。僕はですね、実は・・・今も汗かいてますでしょ?さっきも申し上げたように、夢の世界だと思って憧れて、放送局に入りました。でも実は、自分自身があがりやすいってことを知らなかったんです。非常にあがりやすい人間なんです。

石黒:そうは見えませんけれどね・・・。

三宅:失敗はいくつもあります。盛岡放送局が初任地ですが、ラジオの番組を録音機担いで録りに行った時に・・・ホロホロ鳥っていうキジに似た鳥の飼育を始めた農家の方がいらして、私は、15分ほどのインタビューのために項目を考えて聞きに行ったんです。(椅子から下りて、マイクを差し向ける仕草をしながら)こうやって、マイクを持って聞いてますよね?そうしたら、その農家の方が下の方ばっかり見ているんですよ。「どうして下の方ばかり見ているのかな?」と思っていましたが、インタビューも終わったので「ありがとうございました」と言って帰ろうとしたら、その方が「あの〜マイクのコードさ、録音機に入ってないけど、いいのかい?」(爆笑)あがっちゃっていて、繋ぎ忘れていたのです。それから・・・これも盛岡の放送局でですが、新人のアナウンサーが担当する最初のステージ司会というのは、学校音楽コンクールの予選です。岩手県大会の予選で、審査員が当時、岩手大学の千葉先生と言う方でした。その先生を紹介しようとして・・・「ただいまより、全国音楽コンクール岩手県大会の予選を行います。まず、審査員の先生をご紹介します。千葉大学の・・・!」(笑)その後、言葉が繋がらなくなってしまって。本当に、あがることとの戦いでした。もう、これは修行ですよね。

縣:でも、三宅さんほどの大アナウンサーでもそうだとすると、何かちょっと、ほっとする、というか・・・(笑)、どう、乗り越えていらっしゃったんですか?何か工夫とか?

三宅:(笑)いや〜それがあったら、私も知りたいです・・・。途中で嫌になったんですよ。もう、向いてないから辞めようかと思って、でも他にできることもないから、ずっと続けてきて。最近思うのは、あがる、っていうことに対処するのは、最先端のアスリート・・・オリンピック出る人とか、それから、芸術家でピアノを弾く人とかバイオリンを弾く人も、そう言う人たち全てが課題にしていることなんです。自分の気持ちを、普段とちょっと違う場でも、いかに平静に保つか。それは、たいへんな事なんですけれど、人間が立ち向かって行くにはなかなか面白い課題で、最大の課題です。あ、自分はそれに立ち向かっているんだ、と思うと、何だかちょっと面白くなってきます。

石黒:私も、国際会議などで発表するときなどにあがりますけれど、実は、あがる、ってことは必要なことなんです。ギリギリのところで、最大限に努力しているからあがるんです。これが、手抜きに手抜きを重ねていれば、非常にのんびりしていますからあがらないでしょう。ギリギリのところを挑戦しているからなのです。音楽家でも、演奏会でより良い表現をしようと思っているので、いつもの練習のように気楽に弾けばいいと思っているのではないから、あがるんだと思います。

縣:自分の本当の力を発揮できるかどうか、ということですね。すごい、人生への示唆が含まれています。(爆笑)
質問がたくさん来ているので、とても全部はご紹介できません。後で、また個々に聞いて頂きたいと思いますが、石黒さんにいくつか似たような質問が来ていますので、それをまとめて・・・「先ほどのお話に出たファーストウェイブは何の天体だったのですか?」「ファーストフリンジなどで、印象に残っている天体があったら教えてください。」

石黒:野辺山の干渉計で最初に受けたのはW49というわし座にある水蒸気の分子が発する電波です。これは、周波数でいうと22.235ギガヘルツ、波長で言うと1.35センチという波長なんですが、とても強い電波が出ているので装置をチェックしやすいんですね。そういうことで、その天体を選んで観測しました。印象に残っているのは・・・野辺山の干渉計でやってきたことの中では、さっきも紹介しましたが、惑星系形成の様子で、まだピンボケですけれど、円盤が回転している、ということが撮られた時ですね。

縣:最後に、三宅アナウンサーに質問です。「もしも将来、宇宙から実況中継ができることになったら、どういうことをやって見たいですか?」

三宅:・・・行きたいですね!そして、喋らず、見ていたい!!(爆笑・拍手)テレビって、説明しなければいけないでしょう?それは必要なことなんですけれど、でも、テレビを見ている人が感じる、と言う部分もあっていいのではないか、と思っています。NHKでは今度、スーパーハイビジョンというのを開発しまして・・・すいません、宣伝みたいになっちゃいますけれど、これは相当、良く見えるんです。技術者に言わせると、今までのテレビは「見る」だったけど、今度からは「感じる」テレビになる、って言うんですよ。それならば、リポーターは行くんだけれど、喋らないで、ただ見てもらう。特に、天体って黙ってじっと見ていたいものではないでしょうか?
それが夢ですね!リポーターで行って、喋らない!(笑)感じていただきたいと思います。

縣:お2人にあらためて、拍手をお願いいたします。どうもありがとうございました!(拍手)

 

    

    

    

     

 

2007-4-21